民謡王国、秋田県角館の農家の次男として生まれた高橋祐次郎。
大都会の荒野の中で、さまざまな困難を乗り越え、日本を代表する民謡の唄い手、津軽三味線の師範となりました。
高橋祐次郎の哀愁を帯びた眼差し。身振り手振り、笑い誘う壮快な喋り。そのうねるような津軽三味線の旋律は、聴く者の魂を癒し、興奮と陶酔の世界へ誘います。
祐次郎のその華麗な三味線の技を身につけたいと、全国から弟子が集まります。そして、祐次郎の「津軽じょんがら節」の節回しは、北の厳しい大地の風や波のように、新しい節が次々と編み出され、奥深いこの曲の新しさを裕次郎は門人たちと日々追求してやまなかったのでした。

祐次郎は昭和9年、秋田県仙北郡角館町(現:仙北市角館町)で生まれ、子どもの頃から民謡の中で育ちました。田舎では大工をしていたのですが、昭和30年、大工道具と三味線を携えて上京。建築ブームでひと旗あげようという思いからだったのですが、浅草の国際劇場で三橋美智也のショーに感激し、民謡の世界に入りました。23歳の時、それまで勤めていた池袋の木工所を辞め、祐次郎は、職人仲間を集めて、独学で民謡会を開き、芸を磨いていたのですが、偶然入った浅草吉原の民謡酒場で働くことになりました。そして、これを機に民謡の才能を花開かせた祐次郎。津軽三味線と東北の民謡が常に祐次郎の心の支えになっていったのです。
昭和32年日本民謡協会に入会
昭和33年浅草松竹演芸場にて初代浜田喜一一行に参加、初舞台
昭和39年民俗芸能団の一行でハワイにて6ヵ月公演
その後、民祐会を創立、アジア民俗芸能祭、海外公演などを経て、昭和62年、津軽三味線合奏団を結成。団の名前を高橋祐次郎&KAZEとして、国内各地、海外にて公演。
また、民謡界でも演奏者としてTV、ラジオ、レコード他大活躍しました。
祐次郎一門の弟子と共に、世界での演奏活動はもちろんのこと、養護施設や老人ホームなどボランティア活動を通じて、地域と人々と一体となって民謡を体験してきたのでした。
そして、 爆発するような、熱と力がぶつかりあうような民謡の祭を行うこと(祭爆)
これが祐次郎の生きる希望だったのです。

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